【あらすじ】
前作『ファインディング・ニモ』(14年前!)で大冒険を繰り広げたナンヨウハギのドリー。あったことをその場で忘れるという生まれながらの『メメント』状態の彼女は、心優しい親友のマーリンやその息子ニモと一緒に平和に暮らしていた。
しかしドリーがはぐれていた自分の両親のことを思い出したとき、再び冒険の海への扉が開く!
もう最高でした!
親である以上、この映画を涙無しに観られる人間はいません!嘘、冗談。好みは人それぞれ。
でもそう言いたくなるほど完成度高いです。家族の姿として一つの究極を描いた映画だと思います。
前作とは真逆の構図
前作『ファインディング・ニモ』は、片方のヒレが低形成の子供魚ニモを親魚のマーリンが捜しに行く話でした。いわば障害児を親が助けるというプロットだった訳です。
一方で今作『ファインディング・ドリー』は、生まれつき短期記憶障害を持つドリーが自分の両親を捜しに行く話。前作と反対です。
構図が1作目と真逆と言うのは続編の王道ですね。『機動戦士Zガンダム』とか。
しかし『メメント』のガイ・ピアースよろしく、その場のことも一瞬で忘れるドリーにとって人探しなど無理難題。せっかく目的地までの近道を教えて貰っても、覚えられないから無意味だったりします。それがいったいどうやって!?という所が本作のミソ。
前作からのパートナーであるマーリンを始め、ドリーは行く先々で色々な人の手を借りて目的に近付いていきます。
どんなハンデを持っていようが、或いは持っていなかろうが、人は一人じゃない(魚だけど)。ピクサーの熱い叫びがビシバシ響きます。
※ ネタバレ警告※
以下の記事にて作品の結末に触れています!未見の方は注意!
記憶障害はドリーの一部
この映画の凄いところはドリーの短期記憶障害をして、これっぽっちも「障害」として描いていないところです。記憶障害はドリーの個性の一つに過ぎないという描き方を徹底している。記憶障害があるからドリーなのだ、とも言い換えられます。
これは本作で繰り返し出てくる「ドリーならどうする!?(=記憶障害ならではの突飛な行動でいつも状況を切り開いてきたあのドリーならどうする!?)」というセリフにも如実に顕れています。
記憶障害は個性か
むかしの医療マンガ『ブラックジャックによろしく』でこんなセリフがありました…。
「障害はどこまで行っても障害だ。断じて個性などではない。」
マンガ自体の主張がこのセリフに集約されている訳では決してありませんが、かなり考えさせられる言葉ではあります。
障害は個性か。
その答えは状況次第でいかようにも変わるため 「一つの正解」という形では決して表せないでしょう。
しかし本作は敢えて断言しています。
障害は個性である。
いや、そもそも「障害」なんて無い。いろんな「個性」があるだけだ。
それが弱々しい綺麗ごとでないことは、大冒険を経てついに家族を取り戻したドリーが「私はやった…!」と確かな自己肯定感を噛みしめるラストシーンで証明されます。これが本作におけるピクサーの主張であり、願いでもある。そして、ドリーにとっては真理なのです。
偉すぎるドリーの両親
本作最強の泣かせキャラはドリーのご両親でしょう。これはもう親だったら誰にとっても異論無かんべえ。
まずオープニングからして泣かせます。
かくれんぼしててもかくれんぼしていたことさえ忘れて砂遊びをし始める我が子を見て、心配とも落胆とも異なる何とも言えない当惑の表情を浮かべるパパとママ。
「あなたのお子さん発達障害です」と医者に断言されたときの親のリアクションを精確に比喩しています。魚なのに。この表現の鋭さ、いつもながらピクサー素敵過ぎます!
しかしさらに凄いのはこの両親が、ドリーに出来ないことを強要していない点です。
激流が危険だということが覚えられない
⇒ドリーの好きな歌にして覚えよう!
自分の家の場所が覚えられない
⇒ドリーの好きな貝殻を並べて道しるべにしよう!
と言った塩梅で、ドリーに一番合っている形で生きていく術を教え込んでいきます。これは現実でも、ADHDの児への治療や対応で活用されている手法です。
この細やかな工夫はもちろん我が子への愛情から。もう…映画始まって10分くらいなのに目頭ウルウルですよ。えらいよ!パパとママえらすぎるよ!エラ呼吸なだけに!
そして映画終盤。
「砂が好き」「貝殻が好き」「家への道しるべ」「ドリーならどうする」
散りばめられた伏線が繋がり、自力で両親のもとへ辿り着くドリー。幼いころに両親から受けた愛情がドリーをそこへ導いたのです。
海底の巣に向かって無数の貝殻の道が伸びているカットは屈指の涙腺決壊ポイント。ドリーを信じて何年も何年も貝殻を並べ続けた両親…えらいよ!パパとママえらすぎるよ!エラ呼吸なだけに!
受け入れ肯定し前に進む
ドリーはずっと自分の短期記憶障害を疎んでいました。周囲からの「…え?(当惑)」というリアクションを受けるたびに「ああ~またやっちゃった。ごめんなさい」と謝ったりしている。
でも両親にとっては記憶障害があるからドリーだったんですね。「あの子本当に生きていけるのかしら」と心配のあまりくじけそうになるシーンもありますが、決してドリーを否定せずありのままを愛している。
そしてドリー自身も、本作のラストシーンで自分を受け入れ肯定するのです。
障害と個性。そして我が子に向きあう親の姿勢。 色んな要素が描き切られている素晴らしい傑作でした。
ほとんど全編水族館(海洋研究所)の中で話が進むので前作よりスケールがダウンしているし、 タコのハンクがいくら何でも万能過ぎたり海水でも淡水でもお構い無しのドリーが頑丈過ぎたりとツッコミ所は多々あれど、名作『ファインディング・ニモ』の続編としてほぼ完璧な出来栄えと言えるのではないでしょうか!